橋下弁護士の「世間の感覚」について

橋下弁護士が、人権を金科玉条にして凝り固まり外部からは異様な集団とみられているとする光市母子殺人事件の弁護団等「世間の感覚」を知らない非常識な集団について。橋下弁護士が本気で「世間の感覚」=正しいと思っているかどうかは不明。というか「世間の感覚」自体が一様でない。むしろモザイク状なんんだと思うんだけど。だから人権最重視とか左派的な弁護士もいるし、橋下のようなのもいるし、関心ない人もいる。こんなの中学生でも仮定できる話だと思うんですけどどうなんでしょうか。
で、橋下の「世間の感覚」について。「世間の感覚」が橋下の考える正義に適っているから「世間の感覚」が正しいのか、常に「世間の感覚」が正しくそれが直に道徳や善になるのかは不明。前者の場合、橋下の考えと「世間の感覚」が乖離した場合「世間の感覚」は間違っていることになる。どっちにしろ今のところ橋下が定義する「世間の感覚」と橋下の考える正しさや善や道徳が一致しているのだろう。で、これは日本の「世間」の話。イスラム圏の「世間の感覚」は凄い。イランで同性愛者死刑とかレイプされた方が死刑とかね。
人権団体がこれらの死刑に対し非難していたりしますが、日本も同じく死刑存置国という状況下で非難されてしまうわけで、このような場合、人権団体の非難は間違っているのでしょうか。イランの死刑は間違っているけど日本は正しいみたいな。でも殺人罪を死刑に相当する重罪としている日本の「世間の感覚」と同様に、イランも姦通を重罪とみなしているのだとしたら、それはそれで橋下の「世間の感覚」論からすれば正しいということになると。