社会奉仕活動の義務化について

社会奉仕活動の義務化が実際どのように実現するのか不明だが、マスコミがあまり詳細を報じないのも気になる。
国立大の入学時期を9月にずらし、高校卒業からの半年ほどをボランティア活動にあてるらしく、かなりダイナミックな改革だ。

安倍氏は近著で「みんなが助け合いながら共生する社会をつくりあげるためには、たとえ最初は強制であっても、まず若者にそうした機会を与えることは大きな意味があるのではないか」と強調。
社会奉仕活動を教育の一環として行うことでモラルの改善に役立つとの認識を示しているhttp://www.sankei.co.jp/news/060831/sei005.htm Sankei Web


これは文革の際に行われた「下放」と似ているのではないかと思った。

一九六八年の時点で最大の問題となったのは,中学卒業生の「分配」の問題であり,
特に学校に行かず「ゴロツキ」化した若者をどう処理するか,という悩みであった。(途中略)
当時,一九六六年,六七年さらに六八年組みを加えた中学卒業者は,一〇〇〇万人いたといわれており,そこで一九六八年に始まる「下放」政策が発案されるに到ったわけである。
その意味で「下放」は,「分配」機能の不全という一九四九年以来の「社会主義」システムの破綻を表現するという意味では,一つの例外的な措置=事件であったと言える。しかしもう一方では,「下放」は,農村の都市との社会的格差を是正しようとする毛沢東思想の,必然的な運動の一部であったという見方も成り立つ。http://www.linelabo.com/68marukawa.htm

これは悲惨ですね。
地方と都市の格差なんかが日本の現況と似てるかも。
こんな事、真面目にやる気でいるのか大いに疑問なんだが、安倍氏が必ずしも右翼の権化ではないことが伺える。
「みんなが助け合いながら共生する社会」などは殆ど左翼だ。

結局、小泉竹中路線って何だったんだろうってゆう、後味の悪さが残る感じがする。
ハイエク的な自由主義みたいなものの祭りは、おそらく終わる気がする。

おそらく安倍政権で教育基本法は改正されるでしょう。
愛国心を育成すべく教育基本法改正を主張する人たちに欠けていたのは、教育基本法改正を言う前に、
愛国心を育成した人材を社会に輩出する学校を自費で作るという発想なのでは、という気がした。
まあ、作る金も能力も無ければどうしようもないんだけど。
でも、そういう人たちが国家的な拠り所にたかりたがる。殆ど左翼だと思う。
独立性や創造性、開拓精神は日本の伝統文化に馴染まないのでしょうか。
でも、そういうのがアングロサクソンとの埋まらない溝というか、超えられない壁というか・・。