君が代のイメージ

君が代」のメロディーは暗い。その暗さがいいというのもある。
そういう意味で戦意高揚のメロディーではない。
歌詞も「石が大きな岩になってコケが生えるまで続きますように」という願いが、
なかなか、子孫繁栄的で受け入れやすい。


コケが生えるまでという、つまり、あまりいじらない、自然のまま、
積極的な管理、生きぬく強烈で主体的な意志という発想をあまり重要視しないというか、
そこらへんは欧米の文化とは相容れないという事でよろしいのではないでしょうか。


 高校野球の甲子園大会でも国旗が掲げられ、国歌が斉唱される。
サッカー・ワールドカップでも、日本選手が日の丸に向かい、君が代を口ずさんでいた。
読売 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060921ig90.htm

たしかに歌ってたけど、ジーコジャパンの戦績は改めて記述するまでもない。

イメージとして君が代はやはり、勝ちに行く歌ではない、そっちは目指していない。
能動的、繁栄、勝利、栄光、などの概念の対極にある、なんというか絶望的、死んじゃうかも、
負けちゃう、もう駄目、悲しい、というような消極的路線への「美」というか、
そういう意味で言うと、男性的というよりは女性的、若者というより老人、というような、
日本の特徴なのではという感じだ。日本浪漫派なんかがそれなのかもしれないけど。



小泉純一郎氏いわく、

「社会人になって国歌も歌えない、国旗に敬意も表せないのは外国で変に思われる。
個人の考えも大事だが、社会性、協調性がいかに大事か、どういうことに
敬意を持って接するかという教育は大事だ」
読売 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060922ia21.htm

「個人の考えも大事だが、社会性、協調性がいかに大事か」というあたり、
えっ、協調性すっとばして来たじゃないですか、個人の考えだけで飛ばしてたじゃないですか!?
と時代の変貌を感じる。